正直者がバカを見るのは最初だけなんだな!って坊っちゃんが教えてくれた。
新春ドラマスペシャル「坊っちゃん」を観た
どうも、TVドラマが大好きなぼくです。
昨日、お正月に録画しておいた、「坊っちゃん」を観ました。
原作:夏目漱石
主演:二宮和也(嵐)
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ぼくはこの小説を読んだことがないので、どれだけ原作に近いのかわかりませんでしたが、過去にもドラマだけでなく、舞台や映画やアニメでも数々描かれている人気作品なんですね。
一貫してメッセージ性があったことは、"自分に正直に生きる"ということ。
主人公の坊っちゃんは、ひょんなことから田舎の中学校の先生になるのですが、生徒も先生も世間体や体裁ばかりを気にして生きている人ばかりの学校に赴任します。
その中で、真っ直ぐな性格の主人公は、周りと障害が起き徐々に問題が起こっていきます。
問題を起こすので、よそ者・変人として敬遠されてしまします。
正直者がバカを見る
現代もそうですが、問題が起きた時に真っ先に悪者になるのは問題を起こした当事者。
良い悪いは関係ない、物事の本質がわからなくなってしまうことがありますよね。
ドラマの中でこんな場面が描かれていました。
自分の学校の生徒と他校の生徒との喧嘩の仲裁に入っていただけなのに、その一部始終を見ていない第三者がその場面を見て、先生も生徒に混じって喧嘩をしているようにみえた。
でも、それでも見ている人は見ている。知っている人は知っている。
主人公坊っちゃんのバカ正直な生き方が、周りに伝わり最終的には主人公を応援するものが増えていくという物語。
坊っちゃんを観てのまとめ
そういえば、今までも"信念がない"(またはそれほど自信がない)のに始めたことで、結果が出なかったことって多かった。
結果に繋がったことは、あまり体裁を気にせずに没頭できたこと。
ぼくが思ったことは「正直者がバカを見る」には、実は続きがあるのではないか?って。
正直者がバカを見る(ここから続き⇒)のは最初だけで、続けているといつか良い結果に繋がる
のかな?って。
そんなふうに思った2016年1月の給料日前日。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
これから、まだまだ溜まっている年末年始のドラマを観たいと思います。
それではまた〜。