子守をして気付いたこと、ワガママ万歳!
ぼくの妹の旦那さんが、趣味でやっているバレーの大会で不在ということで、3才と1才の甥っ子達を連れて1日ディズニーシーで『擬似お父さん』を体験してきました。
《寝ている隙に飲んだビールが美味しかった》
子供の体力は凄いですね!
猛暑日なのにもかかわらず、ぼくのわずか1/3の身長で3階までの階段をヨチヨチ登ります。
大人だったら10階分の階段に相当する体力ですよね?
そして、なんでも好奇心旺盛にチャレンジする。それを見てて、ぼくは固定概念の塊の様な大人だなと気付かされた経験でした。
ワガママをたくさん言っていた
うちの甥っ子はミッキーが大好きな様子でした。
『あ!ミッキーいるよ!』と言うと一生懸命背伸びして、必死で目で追ってました。
一瞬で居なくなると、『ミッキーは?』と聞いてきます。
1日一緒にいて思ったことは、子供のワガママは、大人の様に『自分にとって都合が良いから』という感情は一切ないんだな、ってこと。
めちゃくちゃ言ってました。ワガママを。
言ってましたけど、本当にイヤだと思ったり、こうしたい!と思ったから言うわけで、そこに駆け引きがある訳ではありません。
駆け引きをした所でその後の展開を予想できる年ではありませんしね。
ワンワン泣いていても、大好きなラムネをチラつかせたらビックリした様子で目を丸くしてピタリと泣き止みました。
子供からしたら予想不可な出来事だったのでしょう。
理由が必要なのは窮屈なこと
大人になると、利害を引き合いに、目的がないとやってはいけないと相手に押し付けてしまうコトがあります。
本心では、ただ好きなことをしたいだけなのに、そこに理由がないとやってはいけないと思ってしまう様な、そんな状態です。
相手からすると心はとっても窮屈な状態。
大人だから理性でカバーしますが、これが子供だとワガママになる瞬間なんだと思います。
だって、好きなこと・やりたいことが出来ない理由が分からないんですから。
大人にはいろいろと事情があります。電車の時間が迫っているとか、お昼の時間じゃないとか、ホテルにチェックイン出来る時間じゃないとか。
でも、説明が分からない子供は泣くしかありません。ワガママを言って怒られても、その理由すら分からない。
これを大人に置き換えると、好きな事をやるのに理由付けをすることは、ホント窮屈で仕方ないことなんだなって思った瞬間だったんです。
期待は禁物
よく『油断は禁物』と言いますが、ぼくは『期待も禁物』だと思っています。
子供がワガママを言う行為に、親に対する駆け引きがないことを見てさらにそう思いました。
相手に期待をするということは、もしかして見返りを求めていることかもしれない。
相手に対して、とっても窮屈な思いをさせているかもしれない。
安易に『君に期待しているぞ』なんて言ってはいけないのかもしれない。
ただ『△△したい!』は一人称。自分のワガママですが
相手に『□□してくれるだろう!』は二人称。期待しているワガママです。
そこでもう一つ、『◯◯したら誰かにとって良いのでは?』と言うのは三人称。相手に応援してもらえる愛されるワガママです。
つまり、この◯◯が自分の一人称の△△と一致したら、必要とされる組織(個人)になるのではないかと思ったわけです。
好きなことをやる!と言うのはとてつもないパワーを発揮します。
そこまでこだわりを持っている人に、誰かが喜ぶ応援をしてあげたい!自分はそんなところに喜びを感じるのかもしれないと思った1日でした。
とーっても疲れましたけど。笑
またまた読んで頂けて感謝です。
明日はゴルフです。
また明日も何かの気付きを発信できることを自分に願って、また〜。